ふつうに学校にいく ふつうの日
昨日、某学校で五年生を対象に読み聞かせをしたときに、『おおにしせんせい』とともに取り上げた一冊。
外国(おそらくイギリス)の学校が取り上げられている。
「ふつう」の繰り返しから「ぜんぜんふつうじゃない」ことへの転換は、新しい担任の先生が引き起こす。
そこは『おおにしせんせい』と共通する。
しかし内容はまったく別のことで、周囲の見方も変わっているし、二冊並べると雰囲気の違いも楽しめるかもしれない。
柴田元幸による訳文のリズムも心地よく、小学生の夢の中を描くエンディングは、なかなか素敵だ。
【小学校中学年・高学年向き】
このほんよんでくれ!
実に、読み聞かせがいのある一冊だと思う。
登場人物に個性があり、また展開の明快さも手伝って、語る方の工夫がいろいろと楽しそうだ。
オオカミの変化、つまりは本の面白さが、大げさに言えば平和への貢献となる。
とても、いい話だ。
【小学校低学年から中学年あたりでしょう】
そのつもり
この絵本は、ある実践者のお薦め本だった。
「そのつ森」という名前の森の中で、毎日話し合っている動物たち。
自分たちのアイデアを発表して
「いいねえ、それ」と言い合い、そのつもりになる。
ある日、リスが小さい声で言った提案に対しては
そのつもりになかなかなれなくて、ワイワイガヤガヤ
そこへ大きなウシがやってきて…
というあらすじなのだが、
もし、読み手が学級担任の教師だったら
必ず、最後に子どもたちに問いかけてみたくなるだろう
と思わせられる結びである。
どの学校であったか、一回読んだような気がする。
改めて、近いうちに取り上げてみたい一冊だ。
【年長児から小学校中学年までが適当かな】
とんでいった ふうせんは
「ふうせん」に喩えられているのは、楽しく大切な「思い出」。
登場するのは、ぼくと家族。家族のなかには、ぼくを可愛がってくれるおじいちゃんがいる。
作者は「おじいちゃん わたしたち、たくさんのふうせんをもっていますよ」と前書きに記す。
そのことと「とんでいった」という表現によって、何を書こうとしているか想像できるかもしれない。
思い出がつまったふうせんを手離してしまう人たち
…「認知症」と呼ばれる症状を持つ人たちとの関わりについて、やさしく語ってくれる。
ふうせんの行方はどこに…、ああそうか、そうありたいと気付かせてくれる。
【小学校中学年から中高生あたりまで】
へいわとせんそう
夏に研修をしたとき、ある方から紹介された一冊である。
見開きで、左ページに「へいわの〇〇」、右ページに「せんそうの〇〇」とだけ記されて、そこに絵が描かれている。
その姿、表情はもちろん対照的に描かれているわけだが、
「みかたの〇〇」と「てきの〇〇」となったページから変化していく。
という流れで、実に淡々と、表紙絵同様にシンプルに進められていく本である。
平和、戦争、味方、敵…これらの語が指す意味の範囲を考えざるを得ない。
心に残る一冊である。
【小学校中学年から大人まで】
おおにしせんせい
あまり数多く読んでいるわけではないけれど、なぜか「長谷川ワールド」と呼びたくなるような作品だ。
舞台は、おそらく昭和期の小学校。
新しく担任になった「おおにしせんせい」は、出会いの一日いっぱい使って、図画を描かせる。
自分が勤めた始めた頃は、このあたりでも写生で半日使ったりすることが普通にあったことを思い出し懐かしくなる。
この先生は学校の中で「かきたいところ」を描かせるのだが、五年生を相手に出した指示は見事であり、教育の本質を示している。
今は現場ではほとんど叶わない指導だろうけれど、きっとその時間は宝物のように、子どもに残るはずである。
これも読み聞かせたい話になった。関西弁なので練習に時間がかかるか。
【小学校中学年・高学年向き。五十代、六十代も読めば懐かしい気持ちになるだろう】