葉っぱのフレディ
あまりに有名な絵本。
発刊された頃に一度、そして数年前に一度、
六年生に読み聞かせたことがある。
先日、隣市で開かれたある朗読会で取り上げられていて
他人の声で久々に聴いた。
(森繁久彌のCD版は持っている)
改めて、自前の絵本を開いてみたら
読むために、区切りの線やメモなどずいぶん多く書き込んであった。
今の時期にふさわしいことは確かである。
そして、年齢を増せば増しただけ、深く読み込める気がする。
(表現が巧くなるかどうかは、また別だが)
先日、読んだ方はラストの一行前をずいぶん間をとられていた。
「また 春がめぐってきました。」
たしかに、ひと季節経つくらいに、間が必要なのかもしれない。
【小学校高学年から大人まで】
なきすぎてはいけない
この絵本との出会いは印象が強烈だった。
ある研修会で朗読された一冊。
こんなふうに読みたいと、久々に感じた。
その頃はまだ孫はいなかったが、それでも読んでいてなんとなくうるっときた。
今、孫との時を味わいつくしている自分が
この文章を声にすればきっと涙が出る。
従って、読み聞かせはおそらくしない絵本になるだろう。
亡くなってしまった祖父から、孫へあてたメッセージ。
「いのちのしくみ」「いのちのバトン」の意味が
心の中に流れ込んでいくような文章、そして淡くやさしいタッチの絵。
ずっと大切にしたい絵本の一つだ。
【小学校中学年から、そして高齢者まで】
うえきばちです
わずか20冊程度しかない「絵本」蔵書だが
この絵本だけは2冊所有している。
気に入って買い求め読み聞かせをしていたら
同僚に貸してくれと頼まれ、そのままになってしまった。
その経緯を失念し、もう一冊手に入れたのだった。
その後しばらくして「忘れてて…」と前の一冊が返ってきた。
とても人気のある絵本だろう。
ダジャレを特徴あるタッチの画で展開させ、読者を引き込んでいく。
繰り返し読みたくなる面白さがある。
読み聞かせるときに、読み手の個性と工夫が発揮できる魅力ある本だ。
【年中児から、大人まで楽しめる】
にんげんごみばこ
最後の勤務校で一年生に読み聞かせをしたことを覚えている。
「いらないひと」「きらいなひと」をすてちゃおうとする心に
「でも、ほんとうにすててもいいの?」と問いかける人がいる。
低学年の子が「すき・きらい」について、一歩踏み出して考えてくれそうな本だ。
読み方によっては、そんな社会になっていないか考えさせられる。
ああ、読み聞かせした時は出だしの
「にんげんごみばこにすてちゃおう」の箇所で
特別支援のクラスのKくんが泣きそうな表情を見せて
「もう聞きたくない」という顔をしたことを思い出す。
【年長児から小学校低学年がいいでしょう】
てをみてごらん
手の動き、役割などについてやさしく語りかけてくる。
紙工作のように作った手の形が描かれているのが
とても印象的な一冊。
手をまじまじと見ることは、時々あるけれど
こんなに表情が作れるんだなと改めて思う。
手に触れる様々な命や季節をうけとめる「ひと」のあたたかさまで伝わってくる気がする。
【4~5歳から、と書かれているけれど、もっと小さい子もOK】
どんなかんじかな
和田誠の描く表紙が目に入って、思わず手に取った。
表紙のひらがなの題名だけ見たら
「かんじ」が「感じ」か「漢字」か。
これは「感じ」の方。
「ともだちの まりちゃんは めがみえない。
それで かんがえたんだ。
みえないって どんなかんじかなあって。」
と少し唐突に始まるこの話は
主人公の「ひろくん」が友だちの身になってみて
あれこれと考えをめぐらす。
おしまいの方では、友だちのきみちゃんが
同じように「どんなかんじかな」と考えて…
ああそうかと、しっくりうなずいてしまう結びが清々しい。
【年中児から小学校中学年あたりまでがぴったりだけれど、高学年以上だと読みが深くなるので、それも面白い】