秋田方言の有名な語の一つに「ホジナシ」「ホジネァ」がある。「ナシ(ネ)」がは「無」なので、「ホジ」が根幹である。この語源については当て字も含めて、関連図書、サイトに多様な記載が見られる。「保持」「本地」「方図」「本陣」「本心」などがあり、なかなか興味深い。少し掘り下げて考えてみるに値しそうだ。
まず、音がそのままの「保持」。単なる当て字かと思いきや、辞書を引いてみると「保ち続けること」という一般的な語義に続き、心理用語として記憶の「経験内容が維持される過程」を表している。そう考えると、経験から学んだことを維持するという意味の「保持」であり、明快に「ホジ」を示している気がする。
次に『秋田のことば』(無明舎)で取り上げている「方図」は、「限り・際限」を意味する語である。慣用句としての「方図がない」に「とんでもない」という使われ方があり、これが「ホジナシ、ホジネァ」に結びつくことも考えられる。あまり使われなくなった「野放図(野方図)」の姿を想うと、やや近いかもしれない。
「本陣」については『秋田語の教科書』(三文社)にある。戦(いくさ)の時に「本陣を見失った」所から「本陣なし」になった説で、ただ同著も記すように話が出来過ぎている。さて、「本地」は仏教用語であり、慣用句としてなんと「本地無い」がある。まさしく「(正気を失って)愚かである」の意と載っている。
この説が最有力だが、「本地」の語義に「本性、本心」もあり、自分としては幅広い語義を持つ「本心」を推したい。「ホンジン」という読みも併記されている。「本当の心」の他に「正しい心、良心」の意があることを知ると、さらに「ホジ」が深く思えてくる。「ホジ落とせば、駄目だど!」とよく年長者に諭された。